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東京高等裁判所 昭和31年(う)2633号 判決

控訴人 被告人

被告人 高毛礼茂

弁護人 信部高雄 外一名

検察官 川口光太郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八月及び罰金百万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用のうち当審証人富岡芳子に対し昭和三十二年四月二十五日支給した分を除き、その余は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人信部高雄、同鬼倉典正共同作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、次のように判断する。

原判示第二の事実(国家公務員法違反)に関する控訴趣意第一点(不法に公訴を受理した違法)及び同第二点(審理不尽)について

昭和二十九年十月八日付起訴状記載の国家公務員法違反の公訴事実によると、被告人が秘扱文書である外務省経済局第二課発行の「国際経済機関」昭和二十六年度上巻及び同下巻各一冊をソ連人クリニチンに交付してその内容を知らせ、以て職務上知ることのできた秘密を漏らした旨を摘示するのみで、その秘密の具体的内容を表示していないことは所論のとおりである。しかしながら国家公務員法第百条第一項にいわゆる「秘密」とは、所論実質的秘密に属する事項ばかりでなく、国家が一般に知られることを禁ずる旨を明示した事項を指称するものと解すべく、国家公務員である職員に対し、その職務上の関係において配布された特定の文書に、いわゆる秘扱の表示が附してある場合には、その受配公務員において当該文書の内容を一般に知らせることを禁ずる旨を国家機関が明示したものと認めるのが相当である。ところで本件の「国際経済機関」昭和二十六年度上巻及び同下巻には、いずれもその表紙の左肩に[秘]と印刷表示してあること押収の同文書によつて明白であり、右は国家機関である外務省の主管当局が該文書をいわゆる秘扱のものと指定し、部外者にその内容を漏らすことを禁ずる旨を明示しているものと認むべきであつて、この点は原審証人鈴木耕一、同安倍勲、同二階重人の各証言等に徴しても疑を容れないところである。して見れば右文書につき特に国家機関による秘扱の解除手続または同文書の全内容の公式発表がなされない限り、同文書の内容はそれが実質的に秘扱に値すると否とにかかわらず、前示法条所定の秘密に該るものというべく、従つて職務上同文書の配布を受けた国家公務員が、これを故なく無断で部外者に交付し、その内容を一般人の知り得べき状態に置くときは、職務上知り得た秘密を漏らしたものといわなければならない。論旨は国家公務員法第百条第一項にいわゆる秘密とは実質的秘密を指称するのであるから、同法条項違反の公訴事実には秘密の具体的内容及び程度を明示して訴因を特定することを要し、また裁判所としてもこの点の審理を尽くすべきであるとの見解に立脚して、原審は訴因不特定のため無効たるべき所論公訴を不法に受理した違法があると共に、所論秘密の具体的内容及び程度につき審理を尽くさない違法が存する旨主張するのであるが、所論秘密の概念が前説示のように規定さるべきものである以上、論旨はその前提において誤つているのであるから、いずれも採用するを得ない。

(その余の判決理由は省略する)

(裁判長判事 谷中董 判事 坂間孝司 判事 荒川省三)

弁護人信部高雄外一名作成名義の控訴趣意

第二章 国家公務員法違反の事案について、

第一点原判決には、右事案について「不法に公訴を受理」した違法がある。すなわち、昭和二十九年十月八日付起訴状による公訴は、以下に述べるように訴因の特定がなく刑事訴訟法第二百五十六条に違反し無効であるから、原審はすべからく刑事訴訟法第三百三十八条に則り右公訴を棄却すべきにかかわらずこれにつき有罪の裁判を宣した。従つて原判決は、「不法に公訴を受理した」違法があり、刑事訴訟法第三百九十七条第三百七十八条第四号に則り破棄されて然るべきものと思料する。

一、国家公務員法第百条第一項に、いわゆる「職務上知ることのできた秘密」とは公務員が職務上知ることのできたある一定の事項であつて、これを第三者に知らせることが、国民全体の奉仕者としての義務に違反し、公共の利益を害するもの(実質的秘密)をいうのである。

しかるところ、本件起訴状は、いわゆる「秘密」に該当する具体的内容は勿論、その要領さえも全く明示されていない。

すなわち起訴状には、単に『秘密文書である右経済局第二課発行の「国際経済機関」昭和二十六年度上巻一冊を交付してその内容を知らせ』『秘密文書の前記「国際経済機関」昭和二十六年度下巻一冊を交付してその内容を知らせ』と記載しているに過ぎない。

従つて、右起訴状のみでは、何人も被告人がいかなる内容ならびに程度の秘密を他に知らせたかについては到底判断することができない。

かような起訴状は、刑事訴訟法第二百五十六条に規定する罪となるべき事実を特定していないものであり、判決を以て公訴を棄却すべきである。

しかも、かかる秘密事実の表示は、罪となるべき事実の実体をなす重要な事項であり、刑事訴訟法第二百五十六条第三項に「公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定した法意に照し、後にこれを追加又は変更を許さないものと解する。従つて、弁護人は、原審において昭和三十年二月十一日付起訴状に対する意見の陳述として本件は公訴棄却の判決あつて可然ものとの意見を主張した。

もつとも、刑事訴訟法第三百十二条は、公訴事実の同一性を害しない限度において、訴因の追加、または変更などを認めているが、この規定は、あくまでも公訴事実そのものの構成要件自体がすでに起訴状に記載せられていることを前提としているのであるから、本件の如く実質的秘密事項の表示せられない起訴状、すなわち、犯罪構成要件自体の記載のない起訴状については、同条の適用は全くないものと解するを相当とする。

二、なお、検察官は裁判官または弁護人の釈明により、本件起訴状の秘密として実質的秘密に属するものとして、四つの事例を挙示した。(第十二回公判調書)しかし、本件起訴状としては、すでに述べたごとく、犯罪構成要件自体の記載を欠くものであり、かつ、かかる瑕疵は、後に補正を許さない性質のものである。しかしながら、かりに百歩を譲り、かかる補正が許されるものとしても、検察官の例示した事項は、いずれもいかなる実質的秘密であるかを全く明示せず、その外廓を示し、その中に秘密が存在し得ることのみであつて、犯罪構成要件たる実質的秘密事実そのものは何ら表示せられていないのである。

すなわち、検察官の実質的秘密とする事例は、

「(1)  下巻一〇五頁以下に国際小麦協定への日本の加盟買入保証数量の五十万トンという様なことは公表されているが、加盟の経緯買入保証数量百五十万トンから五十万トンに減らされた事情等は公表されず、秘密事項である。

(2)  上、下巻を通覧することによつて外務省経済局第二課の年間の執務状況やその動向例えば、一つの問題について、外務省が如何なる方針でことに臨み、その結果どういう結果になつたか等を把握されるので仮令その個々の内容が秘密の取扱いを要する事項であると否とを問わず、微妙な対外交渉を必要とする外務省の性格として外務特に交渉中の相手国或は利害関係を持つ第三国に知れることは望ましくないとの観点から秘密の扱いを必要とする。

(3)  上巻一七五頁以下に記載された昭和二十六年九月十九日から十月二十六日迄ジユネーブにおいて開催されたガツト第六回総会国際会議オブザーバーとして出席した萩原パリー在外事務所長の報告第八項「英国の対日態度」の項中ガツト事務局員某氏の萩原所長に対する談話

(4)  外務省より提出物件中の国際経済機関上巻については、第一八三頁、第一八五頁および第一八六頁ならびに下巻第一五三頁および第一四五頁に各々削除した部分はこれを公にすることは外交交渉における我国の立場を不利にする惧があり、これを公にすることができない」

である。しかしながら、右検察官の主張は前述のとおり犯罪構成要件たる具体的な秘密事実そのものの表示は全くなく、結局「罪となるべき事実」の表示自体は、何等、補充せられていないのである。従つて原判決は、「不法に公訴を受理した」違法があり破棄するを相当と解する。

第二点原判決には、審理不尽の違法がある。すなわち、原判決の理由(罪となるべき事実)第二の冒頭中に、『右上巻(国際経済機関昭和二十六年度上巻を指す)には我国の「関税および貿易に関する一般協定」(ガツト)への加盟を目的とする対外交渉に関して必要なる情報源等の記載があり、又右下巻には我国の国際小麦協定加入の経緯、買入保証数量が五十万トンに落着した事情、右加入交渉に関し必要なる情報源等の記載ある外、右上、下各巻ともに個々の外交問題についての我国外務当局の基本方針交渉方法等に関する具体的記述があつてこれらがいずれも国際信義上からも又我国外交政策上からも公表せらるべき事柄ではない為、右上、下巻共、右経済局第二課長の指示により秘扱にせられていたものである。』

旨の記載がある。原審の右認定は、『外務省経済局長作成の昭和三十年九月九日附「文書提出に関する件」と題する書面中の記載』を鵜呑にしたにすぎず、原審は、果して

(1)  右上巻には我国の「関税及び貿易に関する一般協定」(ガツト)への加盟を目的とする対外交渉に関して必要な情報源等の記載があり

(2)  右下巻には我国の国際小麦協定加入の経緯、買入保障数量が五十万屯に落着した事情、右協定加入交渉に関し必要な情報源等の記載があり、

(3)  右上、下各巻共に個々の外交問題についての我国外務当局の基本方針交渉方法等に関する具体的記述があり、

(4)  前記記載及び記述がいずれも国際信義上からも又我国外交政策上からも公表せらるべき事柄でない。

か否かについて終局的な審理を放棄している。原判決は証拠の標目中に、

一、押収に係る「国際経済機関」昭和二十六年上下巻一冊(昭和三十年証第一三七五号の一、二)の各存在

と掲げ、恰かも原審は「国際経済機関」昭和二十六年上、下巻各一冊につき前記記載記述の有無を審理し、同冊子中に国家公務員法第百条第一項所定の「秘密」があるか否かを精査したかの如き口吻をなしているが、前記押収物件は前記経済局長により「公表を憚る」と称し随所に墨にて抹消せられており、従つて右押収物件を検討してもその中に果して前記(1) (2) および(3) の記載及び記述があるか否かを判定することができない。

前記冊子二冊は、前記(1) (2) および(3) の記載ならびにその記述が「公表せらるべき事柄でない」か否かを審理する最良無二の証拠(Best Proof)であり、かつ同冊子の「はしがき」の記載によつても明らかなとおり昭和二十六年経済局第二課の執務報告であり、外務省の各局長、各部長、各課長、経済局事務局ならびに在外公館など約二百部近くが配布せられている事実に鑑み裁判所は当然に塗抹なき本件冊子自体の記載を精査すべき権威と義務があるにかかわらずこれを放棄している。これは裁判所の権威を自ら放棄するものであると共に「審理義務を尽さざる」訴訟手続の法令違反であり、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

よつて、原判決は、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百七十九条に則り破棄されなければならない。

(その余の控訴趣意は省略する。)

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